つきあかり、あのひ、なみだ



誰をも好きだから~春に~

春は、季志の背中を不安そうに見ながら、ラジオのスイッチを切った
また季志が眠ってしまったのかと思ったのだ
でもそれは誤解だった

「あれ、もういいの?」

季志が起き上がって、春に尋ねた
春はあわてて、ラジオをもう一度いれた

「このごろ、季志、よく寝るから……」

「ああ、うん、」

混ざってるんだろうね、と言おうとして、言葉を飲み込んだ
いかんいかん、不安がらせてどうする。
闇虫に憑かれた人間の最後。
それは決まっている。
闇虫の思考が宿り主に混ざり、拒絶を起こして眠ったままになるか、
受け入れて発狂するか

季志はなるならば、眠ったままになろうと決めていた
どうやら幸運にも、それは叶いそうなのだ
遺書も、準備してある

「季志……」

不安そうに、春がつぶやいた、大きな声ではっきり問いかけたら、
恐怖が襲ってくる、というように

「だいじょーぶ、だいじょーぶ、心配ない」

笑って季志は手を振った
その手で、引き戸を開けて、スケッチブックを取り出す

「春に、山を案内してもらわな」

「そうだね」

不安を消すように、ぱっと春が笑った
季志もその顔に微笑みかける

「春の絵は、心がこもっていて
見ていて気持ちがいいよ」

「そうかな」

照れたように、春がもじもじする
ほめられるのに、なれていないのだろう

「このスケッチブック」

ページをめくりながら、季志が言った

「本当は、悠が拾ってきたんだ」

「え……?」

「夜だったっけな」

一年前のバレンタインデー
この屋敷の、いつもの一室。
ラジオを聞きながら、悠を待っていた
あの頃は、季志も動けたし、
闇虫も、すごく小さな、不思議な現象でしかなかった

悠の家はいわゆる成金で、
アパートやマンションを何個か持っており、
この屋敷もそのうちマンションにしようと、買い取ったらしい
おじさんもおばさんもすごく変わった人で、
悠と季志のそういう関係も、笑って許してくれた

『季志ちゃん、そういうことすんだったら、あの屋敷、使っていいよ』

金歯をぱっかぱっかさせて、おじさんは笑った

『にょーぼは許さねーかもしれねーけどよ、
いいんだ、屋敷も人がすまねーと、腐っちまうからな』

『だっておじさん、
そのうち取り壊すんでしょう、あれ』

『それはいわねぇ約束よ』

つるりと頭を撫でて

『まぁ取り壊すったってよ、
季志ちゃんと悠があそこ気に入ったんなら、くれてやってもいいよ
結婚する時な』

『あー結婚』

『そー結婚』

それで笑いあった
懐かしい話だ
思い出していると、怒った顔で、悠が入ってきた
いつも怒った顔をしているけれど、
その日は本当に怒っているようだった

『拾った』

そう言って、丁寧にティッシュでどろを拭いだしたのは、
一冊のスケッチブックだった
見覚えがあった

クラスメイトの春。
かわいい子で、だけど不幸そうな子で、
季志が密かに注目していた男の子
彼の、へたくそな隠し方で大事にしている、スケッチブックだった

それには、踏みにじられたような足跡がついていた

『……
なにがあった?』

『わからん、だけど、そういう噂は聞くから』

虐待されている。
まことしやかに流れる噂。
本当に虐待されているのかは分からないけれど、
春の体には、たまに、否応無しに目に入る痣や傷があった

『そうだね』

『いい絵が描いてある』

中を開いてみせて、悠は怒った

『俺が持っておく』

それ以来、悠は何かにつけ、春を気にしていた
今日は悲しそうだったとか、
今日は嬉しそうだったとか、
馬鹿だから、あいつ、気づいてないんだ

くすっと、季志は笑う。
春が悲しそうだと自分も悲しそうで、
春がちょっとでも笑うと、自分も笑ってる
最初は、多分同情。
でもだんだん、悠はだんだん

「あいつ、馬鹿だから」

ラジオのボリュームを絞りながら、季志が言う
春はおとなしく、その話に耳を傾けている

「怒ったことにも気づかないで、
捨ててあったって、怒ってた」

「そんな器用なこと、できるの」

「うん、馬鹿で器用だから」

くすくすと、季志は笑った
春も微笑む
春は、気づいただろうか、
季志の、半分の寂しさに。
半分の愛しさと、半分の悲しさ
気づいただろうか

「俺は、お前らが好きだよ」

季志が言った
びっくりして、春が季志を見る

「ほんと」

幸せそうに、春が微笑んだ
なんだか優しい笑みだった

「僕も好き」

「うん」

「大好き」

「うんうん」

くすくすと笑い合った
もうすぐ、悲しい時がくる
その時のことを考えて、季志は少し、切なく思った


次の日、春は出かけてくると言って、
朝から外に出て行った
買い出しや何かは、このごろは春がしている
季志をひとりにすることはできないので、
悠は屋敷を離れられない、
そんなこともあって、
違和感無く、季志たちは春を送り出した

「早くよくなれよ」

ギターをつま弾きながら、悠が言った
季志はぼんやりと、窓の外の雲の流れを見ながら、うなづいた

「うん……」

「弟も、おまえとあいたいって」

「うん……」

悠には一人、弟がいる
巻き毛の可愛い子で、
悠が大好きなのか、季志を家に連れて行く度に、
なにかと季志さん、悠ちゃん、とくっついてくる

季志も、そんな悠の弟を気に入っていた
ふと、急に、あいたくてたまらなくなった
この非現実的な出来事を、みんなおしゃかにして、
悠と、悠の弟と、春とみんなで、山に行って、
すごかったね、あれはすごかったね、と笑いあいたい

実際には、もう二度と、悠の弟の笑顔も、見れないのだ

「あの子はすねてなくていい」

「そーか」

「おまえはすねてる」

「すねてねーよ」

くすくすと季志は笑った
ギターの音に、闇虫がきぃきぃないた

夕方まで、春は帰ってこなかった
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2004-01-17 838:59:59