ておん ておん ...
ておん とおん ...

どこか遠くで、誰かの声がする。

僕はサチの首筋に唇を埋めて
血をそおっと吸っている。
サチの匂いは甘くて優しい

あくま。

サチの身体はそんな名前がついている。

いいにおい。

「サチ……?」

眠ってしまったのかと
微かに問いかけると
サチが、うん、とうなずいた。

起きてるよ。

サチの匂いいいにおいする。

そう、どんなの?

ギンモクセイ

好きな匂いだ。

サチと僕は向こうの国の川縁で知り合った、
あの深い、こんな雨の日の川縁。

曇った夜空に、星さえ見えず、
人々の怒鳴り声が遠く遠く響いてた。

あっちにいったぞ

こっちだ

ひとでなしめ

あの時の恐怖を思い出して
サチをきゅううっと締め付けると
サチが苦しいよ、と
ちょっと怒ったように言った

ごめんね

ん、ん?怒ってないよ
泣くなよ。

泣いてないよ

サチ、笑って

眠いから

笑ってよ、サチ、サチが笑うと
しああせなんだ

しああせなんだ

しああせなの

サチがちょっと唇をゆがめて
笑ったのか
泣いたのか、分からない
不思議な笑みを作った

サチは背中に矢をいられ、
その傷が笑うと疼くと言う。

僕は右胸、
心音がするあたりに、鉄槌をおろされた

ああ。ああ。

泣き声が聞こえる、

ここは国境を越えた、小さな街。

誰もが通り過ぎ、
誰もが自由で
孤独だ。生き方を知った人々。
ここは国境を越えた、小さな街。

僕もサチも
ずっとずっと憎まれて

憎まれて

憎まれて

追われてた

こっちだって憎んでやる
こっちだって傷つけてやる。
そう想っても、想っても。

たまに優しさを降らされて

たまに愛しさを降らされて

(あのとき血まみれでのはらにかくれふるえていたぼくをたすけたのはひとりのおかみさんだった サチとぼくをおおきなからだでかついで、やどにとめてくれた けががなおるまでここにいればいい、あのひとたちは、なに、すこしかんちがいしているだけさ。魔物が畑を荒らしたと。ばかばっかり(これはおかみさんのくちぐせだ。ばかばっかり))

僕はおかみさんの胸で泣いた、温かかった、
サチは泣かなかった、ただ僕の手を握って、
おかみさんにぎゅうってされている僕を愛しそうに撫でていた

傷口をなめてくれた、あくま。

僕はあくまを初めて見た、きれいだと想った。
サチも吸血鬼は初めてだ、そう言ってた。

ああ、もうすぐおかみさんが迎えにくる。
あんたたちいっそのこと私の養子になるかい。
そんな冗談を言って。
パパさんが苦笑いするのを、何?文句あんのかい、と怒鳴って。

ああ。




人は人。悪魔は悪魔。吸血鬼は吸血鬼。
姿がにてるだけ、ただ姿がにてるだけ。
なのに。

なんでこんなに愛しいんだろう。

人は人。


憎んでも恨んでもうらやんでも
人は人。僕は僕。サチはサチ。

愛しても。

憎んでも。

憎まれても。愛されても。


 ねぇあんたたち、
 ひとをきらいにならないでね

 どれほどきずつけられても
 ひとをきらいにならないでね

 ねぇあんたたち
 これはおごりたかぶったことばかもしれないけど
 きらいにならないでほしいんだ


 ひとはばかばっかりで
 わたしだってたまにあきれちまうけど


人は人で、ただの人で、どれほど愚かか知れないけれど。
僕は、僕だって、すごく愚かで。

優しくされるたびに、憎まないでほしいと願って。
憎まないで、と願って。愚かだけどさ。だけどさ。

宿に来る人は皆僕らを珍しげに見るけど
誰も傷つけない、ここは安住の地だ。サチがたまに言う。

サチはきっと笑顔を思い出す

僕はサチの匂いが好き。

おかみさんが用意してくれたクリームシチューを食べながら
サチと手をつないでいるのが好き


サチ。

声をかすかに放つと、
サチがふ、と笑った。

ごくごく自然に、
痛みを忘れたように。

おまえもいいにおいするよ。



サチも僕も今までも。誰も嫌いになんかなれず。

多分、これからも。


ずっと。


嫌えない。