無題

「ドクターペッパー」の前田は何を考えているのか分からない奴らの中でもトップクラスの何を考えているのか分からない奴で、いろいろ妙な噂があった。喧嘩で5人倒した、とか、女を囲っている、とか、父親が警視庁に勤めている、とか。そうでなくても三白眼の無愛想な目でみつめられると、男どもは急にそわそわしだす。因縁でもつけられそうな軟弱どもは、もうペッパーには近づかない。

雨が降っていた。霧雨だ。ドクターペッパーでペパーミント茶を3杯飲んで、もういっぱいお代わりしようと思った時に前田に気がついた。いつの間に来ていたのだろう、俺がジョジョの奇妙な冒険(41巻)に夢中になっていたあたりだろうか。長い髪を後ろで束ね、「サザンクロス」と書かれた本を夢中になって読んでいる。右横に置かれた温かそうな珈琲には見向きもせずに。分厚い本だ。背筋が少しかびている。紫の背表紙に、タイトルの後。「前田」とサインペンで書かれていた。

前田が角席に、俺がその前に向かって座っている。ふたりともひとりぽっちだな。なんとなくそう想ってあまりのセンチメンタルに笑いそうになった。短い茶色い髪のウェイトレスが来たのでペパーミント、と告げ、しみじみ前田を観察する。美人と言うにはあんまり鋭すぎる目が、たまに潤み、たまにゆがみ、本を追っていく。

何が書かれているんだろう。

前田は「サザンクロス」を最後まで読んだらしい、少しゆっくりページをおった後、ため息をついてもう冷め切っているだろう珈琲を一気飲みした。「勘定…」無愛想な顔に戻って、硬質な声でウェイトレスに言う。はい、とウェイトレスが微笑んだ。

後ろでレジのちん、という音。750円です。

俺は6杯目の茶を飲み干した。



ドクターペッパーを出ると、霧雨が少し強まっていた。コンクリートがやけに冷たそうに黒光りしている。

「こりゃ…なぁ」

「うん」

独り言に相槌が返ってきたので、驚いてみると前田が笑って俺を見上げていた。

「さっき俺のこと、見てたろ」

「気づいてた?」

「うん…」

ためらいがちに前田が目を伏せる。少し考えて、そうして言った。少し頬を染めながら。


傘、入る?


前田のグリーンの傘は、中に★印の点々がいっぱいあった。何これ、というと蛍光塗料で描いたんだ、夜になると綺麗だぞ。

そう言って笑った。




胸がやけにきゅんきゅんしたので、きゅんきゅんすると言ったら、俺も、と言って、黙った。


だから、手をつないだ。