羽~吸血鬼~

寂れた店…「羽」
これは…そこに訪れた様々な客たちの…
様々な人生の物語…………。

「お客さん…来ないね」
千歳が笑いながら言う。
千歳はあやかしの一種だ。
いつの頃からかこの、バー「羽」に住み着いて…悪さする。
銀髪と赤い瞳と全体的な面影は一定いしているが
気まぐれにその姿を変えるのでややっこしい。
美しい少女だったり少年だったりする。
決まって人に似ている姿をとるが中身は人のそれとは全然違う…
残酷で無慈悲だ。
「………」グラスを拭きながら
マスターが眉をひそめる
内心で「誰のせいだ」と思っている。
数多くいた常連客も…千歳のおかげで今は数えるほどになってしまった。
千歳は自分の銀色の髪を掻き上げて笑みをこぼしたまま
マスターを見え据える。
からかっているのだ。
その赤い瞳が面白そうに細められる。
丁寧にまとめられたマスターの黒髪をいきなりグシグシとなで上げて
怒鳴られる前に千歳はかき消えた。
マスターはしばらく千歳の消えたあたりを睨んでいたが、
やがて、肩を落としてため息を一つ吐くと、またグラスを磨く仕事に戻った。
その青い瞳に哀しげに睫の影が落ちる。
そろそろ夜が来る………そして…「羽」に客が来る………
今日の客は…一体どんな物語を聞かせてくれるのだろうか………。

カナ………カナカナカナ………………
………屋敷に風が吹く………
風の中に男が一人…血走った目できょろきょろと…きょろきょろと
屋敷を見回している。
「いつまでそうやって俺をみている気だ………!」
はぁはぁと荒い息が闇に響く。
「俺を吸いたければ…吸えばいいだろう………!」
男に答える物は居ない。
はぁはぁと…はぁはぁと…荒い息だけが…闇に響く。



「あら…お客さんよ」
深夜二時。そろそろ客もひけた頃。
血に濡れたような唇を…器用にあげて千歳は言った。
再度出没した千歳は成熟した女の姿をしている。
赤い瞳と銀の髪はそのままだ。
マスターが顔をしかめて千歳を見る。
「客をまた…からかう気かい?」
「そんなことしないわ。」
「したじゃないか。
おかげで客が一人…また一人と減っていってしまった。」
「あら…そう?
こんな店にしては多い方だと思うわよ?
残ったのは変人ばかりだけど」
婉然と微笑んで千歳はすっと煙のように消えた。
「君が選んだんだろう………」
ふーっとため息をついて…マスターはきたる客のために一つ…グラスをとった。
千歳は選ぶ。
選んで自分の気に入った客ばかりを此処に残した。
からかって虐めて追い出したのは気に入らない客ばかり。
気に入った客には姿さえ見せない。
きぃ…………ちりんちりいん
澄んだ音を上げて扉が…客が来たことを告げた。

「あれは…俺の気が狂うのを待って居るんだ………!」
ドンッと強くジョッキを机に叩きつけて男がうめいた。
「お客さん………飲み過ぎですよ。」
マスターは眉をひそめてありきたりの注意を発する。
しかし…こんな時に他にどう言った注意の方法があるというのか。
「んなにぃ」
酒臭い息をマスターに浴びせて男は立ち上がった。
威勢だけはいいが…その足下がおぼつかない。
「俺に酒を飲ませない気かぁ!
そうやって俺を狂わす気だなぁ!
そうか…お前も…奴の仲間なんだな………!
奴の…………吸血鬼の…………!!」
だんっとひときわ強く机を叩いて男は崩れるようにその上に突っ伏した。
マスターはそっと止めていた息を吐いて
気づかれないようにため息を発した。
男の名前は桜木さとし。
数少ない常連客の一人だ。
店に来ては尋常じゃない量の酒を浴びるようにのみ
自分は吸血鬼に狙われて居るんだと…ひとしきり騒ぎまくる。
普通にしていればかなりの美青年なのに
酒のせいで…髪はぼさぼさ目は血走りまるで山姥のようだ。
このごろは道を歩くだけで皆が彼を避けていくらしい。
(やれやれ………もうこの人だけだろうな…客は)
早朝4時………そろそろ明け方、店じまいの時間だ。
「あれは知ってるんだ………
俺が追いつめられていくのを………
こんなの蛇の生殺しだ…………。」
その呟きの思いがけない冷静さにマスターは一瞬ぎくりとする。
いつものことだが…毎回この感じにはなれない。
泥酔から目覚めるかのように…
桜木はフッとしらふのように冷えた声を出すときがある。
「ずっと姿を見せないで…………
俺の気が狂うまで待ってるんだ…………」
「……………」
「……………」
「……………」
「………桜木さん…………
桜木さん…………?」
桜木はスーッスーと軽い寝息を立てて熟睡していた。
そのまま寝入ってしまったらしい。
いつものことだが…この後に立派な成人男子を家までおぶっていくのかと思うと
マスターはため息を吐かざるえなかった。

カナ………カナカナカナ………………

「あれ…もうすぐ死ぬよ」
戻ってきたマスターに千歳が浴びせた第一声はこれだった。
「千歳…不吉なことを言うな。」
マスターは眉をひそめて千歳をしかった。
悪びれもせず…千歳は続ける。
「マスター知らなかったでしょ。
彼奴の父親………彼奴を犯してタンだよ………。」
カタ…カタと…千歳をあえて無視するように努めて
マスターはグラスを一つずつ片づけていく。
「あれがなんでひとりなのか知ってる?
なんで一人暮らしなのか知ってる
捨てられタンだよ、父親にね」
くふふ、と笑う千歳。
その笑顔は鳥肌が立つほど蠱惑的だった。
「すさまじかったわよ…
二人して…睨み合いながら…こう…立っててね…
父親をねめつけながら彼奴…がたがた震えてたっけ。」
クスクスとこれ以上ないくらいおかしい物があったかのように
千歳は笑う。
「彼奴の妄想の中の吸血鬼は………父親だよ。」
「千歳!!」
たまらなくなってマスターは振り返った。
千歳の琥珀のような赤い目がマスターをねめつける。
「たまらなくなったんでしょう………犯されないことに」
ふふと笑って千歳はかき消えた。
「馬鹿なことばかり言うんじゃない………!!」
マスターの怒声だけが空しく響く………。


(父親の居ない状況に耐えられなくなったんでしょう)
(………そうだ…………)
(母親が貴方を嫌って)
(………そうだ…………)
(父親も貴方を嫌って)
(………そうだ…………)
(あんたなんかいらないわよね)
(………そうだ…………)

(そうだ)
(そうだ)
(そうだ)
(そうだ)
(そうだ)
(そうだ)
(そうだ)
(そうだ)
(そうだ)


きゅうけつきに、して



桜木が死んだと…マスターが聞いたのはそれから三日後のことだった。
何でも自分で喉の動脈をかき切って死んだらしい…
居間一杯に血が溢れていたそうだ。
なのに、死体だけが見つからない。
どう考えても、死んでいる血の量なのに。
そうして、その夜、千歳が来た。


「また、お客が減った」
虚しくマスターが笑うと、千歳も笑った。
今日の千歳はがたいのいい男の姿をしている。
まるで、何かを守るように。
「マスター、私、恋人が出来たよ」
「……」
酒を注ぐと、いらない、とよけた。
「男の姿がいいんだって」
「そいつは男か」
「男だよ」
マスターもよく知っている人
くすくす、千歳が笑う。
琥珀のように透き通った目をして。
「犯してやると面白いように喜ぶ。かわいいよ。一生はなさない」
いや、永遠か。

吸血鬼は、年がないもの。

マスターの動きが、かたりと止まった。
「千歳…?」
「はい…?」
「……」
それ以上は言えない。
ただ黙って、千歳を見ていた。

(吸血鬼、なったら、どんな気分なのかな)

フッとマスターは…桜木の笑い声を聞いた気がした。
カナ………カナカナカナ………………
後は風ばかり…………
風ばかりが…………吹いていく…………。