「もうがんばれない」

そう言って、父は蒸発した。

「もうがんばれない」

がんばれって、ずっと、応援していた。

「がんばれってなんなのかね」
煙草を呑みながら、たけしが言う。
たけしは「はすっぱ」で、
不良な男だ。
そいつの手の中でうとうととまどろみながら、
煙を追っていた。

「俺がんばれって言われたら、どうすりゃいいんだろう。
がんばってるつもりなのに」

父が蒸発してから、
父の弁護人だったこいつに抱かれるようになった。

別に借金があったわけじゃない。
別に弱みがあったわけじゃない。

ただ、成り行きで。成り行きで。分からないけれど。

「そんな話、よしなよ」

布団に顔を突っ込む。
たけしのにおいがする。
煙草8割。体温2割。
「……」

たけしが震える。怒りかもしれない、
僕が「なびかない」と言って
たけしはたまに怒る。

「また怒ったんだ」

にょっと首を出して笑いかけると
たけしはなんだか奇妙な顔をしていた。
泣きそうな、笑いそうな、すごく奇妙な顔。

「俺が蒸発したらどうする?」
「土掘って
そこに埋める」
「蒸発すんだって。埋められないだろ」
「埋められるよ」

たけしにもらったもの全て。
笑っていったら、たけしの唇が何かいいたそうにもごもご動いた。
ぎゅうっと痛みを感じた顔をした。

「いつまでおとーさんのこと、
根に持ってんだよ」
「根になんか持ってない」
「持ってるよ。人傷つける、そんな話ばっかりしやがって」
「してない」
「してるよ」

か細くたけしの声が震えた。
こうして泣いて、どうしようもない気持ちに僕をさせる。
だって愛せない。

愛したら、きっと償いきれない。
とおさんごめんなさい。

心で凝った謝罪がある。

「俺はお前を救いたい」

ねぇ、たけし。
たけし。誰だって
責めるつもりでがんばれなんて言ってない、
ねぇ、たけし。たけし、
頑張れって言うのは、
乗り切れって。
乗り切れって、この苦境、
この辛さ、耐えてって、
言ってるんだ。酷い話だろう
耐え切れないなら逃げてもいいなんて
誰も言えないときがある、
耐えなきゃならないときがある、
ねぇ、たけし


ぼくは頑張って欲しかった
耐えてなど欲しくなかった

ただ、

ただ、

お父さん、負けないでって
言いたかった


そんなに悪い言葉だったの。
お父さん、どうか、



負けないで。


たけしの手のひらが僕の背中をなでる。
「お前は傷ついているのな」
弱弱しく笑う。
「さっきのうそ」
シーツのしみをじっと見ていた
笑いかけると、お前うそばっかりじゃん
笑っているのもうそじゃん。そういう。

うん、うそだよ。

「逃げたりしたら、承知しない」




逃げないで。




一緒に、いっしょに、いっしょに、

立ち向かおう。


「ここにいて。

そばにいて。

ずっと、」



いっしょにいて。


誰からも逃げれない時がある。
つよさが必要だ。
ねぇ、くきりと折れてしまう草でも
束ねれば、きっと、強くなれる。


ね、お願いだ。
がんばれなんて言わない
つよくなれなんて言わない
ただ、


ただ、

逃げないで。


僕から逃げないで




たけしの涙が、ほほを這う、
キスをするとしょっぱかった。

逃げられないときは、一緒に立ち向かおう。