春の待ち人



はるのつき

「よぉ……」
無愛想な顔で、フォル・フォーが入って来た
気が合うので、たまに呼び出しては、セックスをしている
カーヤを抱いたという話も、聞いた
「お久しぶりです。」
眼鏡を取りながら、ナナシマは笑った
「ルシュ様、出て行ったんだって?」
「……手紙がありました
不器用に、カデさんと出て行くと書かれておりました
あれじゃ追われるに決まっとるっつーのに。
書き直して他のやつらに見せましたよ」
「いいのかよ、それ」
「いいんですよ、俺がルシュ様の本当の心を知っている。
それだけでいいんです、フォー、酒は」
「持って来た、お前のだすのよりいいやつだぞ、
飲もう、ナナシマ」
「失礼な方ですね」
受け取った酒を封切ると、ぽんっとはじけた音がした
ジョッキにそそいで、乾杯、と重ね合わせる
かちん、とかるい音がする
一気にナナシマはそれを飲み干した
「おい……」
フォーが心配そうに声をかける
「いいんですよ、フォー、
いいんです」
「……なんだよ」
「はい?」
「……おまえさ、変な奴だよな、
冷たいと想ったら、荒れてやがるじゃないか」
「荒れてなんかいませんよ、もういっぱい」
「ほら。
荒れてるじゃないか。」
注ぎながら、フォーが言う
「ルシュ様が……好きだったのか?」
「……、あの人は、馬鹿な人です」
もう一度酒を飲み干して、フォーにジョッキを押し付ける
「にぶい。馬鹿だ。素直だ。手に負えない馬鹿だ」
「……おまえもたいがい馬鹿じゃないか?」
「いいんです、私は冷たいひやにんげんですからね
馬鹿で結構。だけどね、私は愛している人の幸福ぐらい
ちゃんと考える人間ですよ」
「そうだな」
なんだか、微笑みながら、フォーが自分に酒をそそいだ
それを少しかかげて
「それじゃ、ナナシマの失恋に、乾杯」
「はいはい、乾杯、ってなんで注いでくれないんですか」
「もうやめとけ」
「私の酒の強さを知りませんね」
「酒癖の悪さならしっとるぞ」
ナナシマは、ふっとため息をついて、天井を見上げた
ルシュ様のいない今、ナナシマがこの屋敷にいる必要もない
また職を探して、本当に愛せる主人を見つけよう
「フォー」
「ん?」
「抱いてくれませんか?」春の風が吹いている
屋敷がぎしぎし言う
この風で、重い冬が飛んでいく


遠く離れた、チュカのホテルでは、
カーヤとユナが互いの体に唇をつけ、
愛を育んでいた
ユナが愛しげにカーヤの額に接吻し、
カーヤのそこを愛し、
カーヤは快楽に埋没しながら、ユナの指先を一生懸命に追う。

隣の部屋では、一日中船にのっていたカデとルシュが、
重なり合うようにして、眠っている
時折、ルシュが寝言で、カデの名をつぶやき、
眠りながら、カデがルシュを抱きしめる



「ナナシマ?」
「ん?」
「ルシュ様……幸せになるかな」
「……なるでしょう、なにせカデさんが一緒だ」
「ユナも出て行ったよ、カーヤと暮らすって言っていた」
「どこに出て行ったか、知っていますか?」
「それは話してくれなかった。
慎重だよ、あいつは」
「……」
にやーーーーーっとナナシマは笑った
「ま、いつか、また会えるでしょう
縁があればね」
「縁……つーと、ナナシマと俺みたいなことか?」
「はあ?」
「腐れ縁」
がこっと、ナナシマはフォーをぶったたいた。10年後、カーヤとユナは結婚する
カデは、道場を立て、たくさんの門下生に恵まれ、
ルシュと一緒に緩やかに生きていた。
ナナシマとフォーが、もう一度彼らに会うのは
その時になる。


ただ、今
今このとき、
彼らは何も知らず、
夜の下で、自分たちの愛情を重ねていく


誰も彼も、幸せになればいい
いま、まさに、来ようとしている、春のように
心安らかに、
愛を紡げばいい

月が、全てを見ていた
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