ななう



【番外編】バレンタイン

柔らかな風が吹いてる
もうすぐ、春が来そうな
そんな予感で満ちあふれている日

湯島葵とつきあいだしてから、2ヶ月ちょっと
冬はどんどん寒くなり、吐息は白く色づいた。
僕はきらびやかに着飾る町を学校に向かって歩きながら、
ぼんやりと葵のことを考えている。
葵の背中や、深く僕の手を包み込む、
その温かな手のひらや、
優しく笑った時に、片方にえくぼができるその顔や
あいつのことを考えると、気がつくとにやにや笑ってて、
なんだかこのごろ変なんだ。

そんな風にぼんやりしながら、
ふっと顔を上げたら、
「バレンタイン」という文字が飛び込んで来た
びっくりしてよくよく見ると、
チョコレート屋の垂れ幕だ。
赤と白で、綺麗に彩られている
「バレンタインチョコレート」
「愛を込めて」
にぎやかな文字が踊って、
ウィンドウを覗き込むと、
おいしそうなトリュフ型のチョコレートがいっぱい積んであった

(あおい……チョコ好きかな)
なんだか心臓がどきどき言った
買っちゃおうかな、でも嫌いだったらどうしよう
悩んでいたら、僕の手をそっと包む、温かいものが隣に立った
「チョコ好きなの?」
葵だった
僕の湿った右手を穏やかな扱いでポケットに入れる
あまりの自然な行動に、僕は逆らえない。いつもそうなんだ。
あおいのポッケは、冬の中で凍えた指をゆっくり暖める。
「そういえばバレンタインだね」
柔らかい笑顔で言う
「う、うん、
いきなり立つなよ……」
どきまぎして、うまく答えられない
葵はチョコ、好き?
聞きたいのはその一言なのに
「買ってあげようか?」
微笑みながら、葵が聞いた
僕はもうどうしていいか分かんなくて
葵の手ごと、右手を引きずり出して
ぶんぶん、ぶんぶん、ぶんぶん、振った
「なんだよぉ」
可愛いものでも見るような目つきで葵がくすくす笑う
その手がぎゅうっと握りしめられて、
もう、こんちくしょう、どうしよう
顔、きっと真っ赤になってる
「僕が買うの!」
「……」
葵は愛しそうな、眉と目が下がった、
なんとも言えない優しい顔の、
微笑みを浮かべながらながら僕をじっと見た
「な、なんだよ」
もう、もう。
この顔が僕は一番苦手だ
本当にどうしていいか分からない、恥ずかしい。
「すりすりーーーーー!!!」
「わあっ」
いきなり葵は僕を抱きしめて、ほおずりしだした
「すりっすりっ」
「や、やめて!やめて!!!」
「可愛い……孔一」
あ、と思った瞬間、口づけされていた
唇を重ね合わせられて、
ゆっくり舌で舌を転がされる
「……ん」
「…………」
「……」
僕は焦った。
キスは好きだけれど、こんな、往来で。
「好きだよ」
やっと放してくれたと思ったら、真剣な顔でそんなことを言う。
本当にもう。なんとかして。

バレンタインにごはん♪おいしいごはん♪
と歌いながら、葵が玄関を開けた。
葵の家はこざっぱりとした、6階建てのマンションの一室。
505号室、シンプルな、余分なものが何も無い部屋で、
本がやけにあるのが特徴。
チョコレートを買って、
(僕はトリュフのチョコセットを、
葵もこそこそなにかを買っていた)
じゃあ、学校に行こうとしたら
「バレンタインだから、うちにこない?」と葵が言った
なんでも、料理の用意がしてあって、
「僕」と食べるのをたのしみにしているんだそうだ
そんなこと言われちゃ、断れない。
「あおいは、料理好きだよね」
お邪魔します、とあがりながら、靴を脱ぐ。
この二ヶ月の間に、何度も葵の手料理をごちそうになった。
何かのこつを知っているのか、
見るからにつばがわく、大変おいしい料理だ。
実はちょっとばかり、楽しみにしていて、誘われると大変嬉しい。
「趣味が料理だからね。
面白いんだ。でもすぐ飽きるかもしれない」
「そうなの?」
「俺いつもそんな感じだよ。
自分が満足するまでやっちゃうと、飽きちゃうんだ」
「それちょっと怖いな……」
「……なんで?」
「葵……だって僕に満足したら……」
じっと葵が、あの柔らかな微笑みで僕を見た。
困ってしまう。
「もう、ずっとずっと、手に入れたときから、
ずっと満足してるよ」
「じゃ、じゃあ」
怖くなって顔を上げる
その両ほほを、葵が両手ではさんだ。
吐息がかかるぐらい、顔が近くになる
「好きだよ、大好きだよ、孔一。
絶対放したくない……
孔一が嫌わない限り……放さないよ」
「おれ、嫌ったりしないよ!!!!」
なんか泣きたくなって、じんわりめじりが滲んだ。
そのめじりにそって、葵が舌をはわせた
温かくて、ぽろぽろ涙がこぼれた
「孔一、可哀想……
泣かないで」
「あ、葵がいじめるううう」
「あはは、いじめてなんかないよう」
くすくす笑いながら、葵は僕を抱きしめた。
ぽんぽん、と背中をたたく。
「可愛い孔一……大好きだよ」
そのままふたりでじっとしていた
あおいと溶け合えたらいいのに。
混じり合って、一つになったら安心するのに。
そんなことを考えていた。

葵の今日の料理はロールキャベツと豚肉とエビと豆腐の「鍋」だった
葵の料理はそんな感じで、いつもちょびっと個性的だ。
ハフハフ言いながら、食べ終わって、はーっとため息をつくと、
葵が片付けをしながら笑った
「すっごくおいしそうに食べるから、食べさせがいがあるなぁ」
「すっごくおいしいもん。あ、手伝うよ。
僕太っちゃうよね、きっと」
「ありがとう。
太っても可愛いよね、きっと」
「……」
なんだか何も言えなくなって、ほほが赤くなった。
かちゃかちゃとお皿を下げる。
葵がお湯をだしたので、
一緒に皿を洗った。
僕は皿洗いが結構好きだ。
汚れたものが綺麗になっていくのが快感で、
よく家でも進んで皿を洗ってる。
もう全部洗い上がった、というところで
葵がふきんを取りながら、僕の片手のひらをぎゅっと握った
「ぎゅっ」
音付きだ
「もうーやめろよぉ」
「恥ずかしがりやさんめ」
「だって……ふけないだろ」
「そうだねぇ」
どうしようかねぇ、と言いながら、葵は僕の手をポケットに入れて、
皿を拭きだした
「……葵」
「ん?」
「僕はどーすりゃいいんだよ、だしていいのかこれ」
「だしちゃだめー」
「じゃーどーすりゃ」
言い終わらないうちに、ちゅっと葵が接吻した。
もう、もう。
僕は下を見る。赤くなってる。絶対。

やっと片付いて、二人で音楽を聴く。
葵はクラッシックが好きだ。
僕をだっこするように、足の間に座らせて、
前で手を組んで、時折僕の耳に息を吹きかける
「むう」
くすぐったくて僕はうなる。
これがいつもの格好だ。
「こーいち」
「ん?」
数十分、音楽と葵の暖かさに浸っていたら、
不意に葵が声をかけた
「チョコ、食べていい?」
「……うん、あげる」
ちょっぴり照れながら、僕は鞄を引き寄せた。
「トリュフな?」
「うん……はんぶんこしよ?」
「はんぶんこ?あおいも何か買ってなかった?」
「俺の食べられないもん」
そういいながら、葵が自分の鞄をごそごそやる。
小さな箱を取り出して
「指輪。はい」
「……!!!!」
僕は驚いて、鞄を落としそうになった
指輪?
「た、高いんじゃないのか」
「あけてみなよ」
葵の声に、震える手で箱を開けると、
赤いケースに、青い石が埋もれるようについた、銀の指輪が入っていた
「こーいちのサイズにあうといいけど」
ぷるぷる震える
どう思っていいか分からない
嬉しすぎて、頭飛んじゃったみたいだ
はめようとして、はまんなくて、焦っていると、
葵が手を引き寄せて、そっとはめてくれた
指輪はぴったりはまった
前からそこにあったように
それが運命のように。
「ううーーーーー」
「ふふ、うなったりして、どしたの」
「だって……嬉しい……」
「指輪くらいで」
「だって……なんか特別って気がして」
「特別だよ、ほら、俺とお揃い」
葵が寄りかかっていたベッドの横の戸棚から、
赤いケースを取り出して、見せてくれた
ケースの中に、同じデザインで、少し大きい指輪が入っていた
「……」
「うん?」
きゅうっとなって、嬉しくて嬉しくて、
僕は葵の胸に顔をすりつけた
葵が笑ってその頭を両手でくしゃくしゃに撫でる
「まだ、本物は買えないけど……」
「うん」
「卒業して、就職して、
その時まだ、こーいちが僕を好きだったら、
結婚しよう」
「……!!!!!」
ばかあおい。
涙が出て来た。
僕はいつからこんな泣き虫になったんだ。
葵の手のひらが温かい。
気づかれないように、顔を埋めていたのに
そのほほを葵はいとも簡単にもちあげた
「……なきむしさん」
「だって……」
「あいしてる」
「……!!」
「……ほんとだよ」
「……ううー」
「なんだよお」
「あおいがいじめるよ」
「いじめてないよう」
くすくす笑いながら、葵は僕の唇に自分の唇を重ねた
甘い快感がわき上がって、僕はドキドキしながら、
葵の背中に手を回した
葵は僕の唇をゆっくりはみながら、
僕の頭をあたたかく撫でる
気持ちよくて、気持ちよくて、もっと泣きそうになる
葵が好きだ、と思った
強く、強く。
願いに近いほど。


「ああいうの、やめろよな」
満ち足りたセックスの後、
ベッドの中で、裸の葵の胸にほほをくっつけて、僕はぽつりと言った
むしゃむしゃぽりぽりとトリュフを口に運んでいた葵が顔をあげて「ん?」って聞く
馬鹿みたいだけど、ほんとに馬鹿みたいだけど、こんな葵が可愛いと思う。
ほんとに馬鹿みたいだ
「なんかあったかい顔するの」
「あったかい顔?」
「目尻がさがってるかおだよ、ああいうの、も、どーしていいかわかんないだろ」
って言ってるうちに、あおいはまた目尻をさげて微笑んで僕を見る
もうー。
「じゃーいーよ、往来でキスするのなし。なしだから」
「それはだめです」
「って、だめですって、だめだよお」
ちゅっちゅっちゅっと葵がほっぺにキスをしだした
あったかくて、くすぐったくて、僕はやめろようと言いながら、葵を抱きしめたくなる
「ひゃくまんかいだってキスしたいのに、だめだよー」
「だめだよーってだめだよー」
きゃっきゃきゃっきゃと笑いながら、僕は葵に負けないようにキスしだした
葵が笑いながら、僕の顔を引き寄せて、目を見た
とたんに恥ずかしくなる。あおいがあんまり、無邪気に僕を好きだと振る舞うから、
僕は困ってしまうんだ。
「……」
なにも言わずに、葵は少し丁寧に、少し長く。柔らかく、僕の唇に接吻した
「こーいち」
「ん……」
「呼んでみただけ」
「むー」
「怒った?」
「んーん」

ふと、外を見たら雪が降り始めていた
粉雪が、窓にあたっては溶け、溶けてはあたり
あおいの胸の音が暖かいから、泣きたくなる
あおいがこの世で、一番好きになってしまった
なによりも、なによりも

あおいの唇はチョコレートの味がした
そう言ったら、僕の大好きな眉の下がった微笑みで、僕を抱きしめた
あおいの胸が、ときとき言っていた
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