春の待ち人



さいかい

石の階段は、降りるたびに、空気が一段と冷たくなっていく
この中に、お父さんがいるのか、いたのか。
何も想うまい。ただ、今は。
カーヤは、手のひらを強く握りしめて、足音を殺して、
ゆっくり降りる。
数ある屋敷からの抜け道を、カーヤは知っている。
それはつまり、屋敷にもぐりこめるということだ。
想った以上にあっさりと、ここまでこれた。
誰に見つかることなく。
こんなことなら、もっと早く、こうすればよかった。
父さん。
目を瞑り、もう一度あける。
もうすぐ、階段が終わる
牢から、月明かりが届いている
もうすぐ3月になる。
柔らかな夜。少し暖かい夜。
父さん、いま、いくから。

カーヤは知らなかったけれど
カーヤが潜り込んだことは、ナナシマによって、屋敷主に伝えられた
屋敷主は誰をも引き払い、
カーヤが牢に行きやすいようにした
そして自分が、その後を追った

ひげもそっていない。
今、なにかの感情があるのだとしたら、絶望。
ふと、思考が停止すると、死のことを考えている
俺はいつからこんなに弱くなったのだろう
カデは、ため息をついて、幾度目かの眠れない夜、
またループする悲しい思考をうちけそうとした。
カーヤは死んでしまった→俺が悪い→なぜルシュはカーヤを助けなかったのか→カーヤまでをもほんとうに憎んだのか→俺のせいだ
なんども、なんども、繰り返し、繰り返し、罪悪にうちのめされる
神様、俺にあたれば良かっただろう
罪があるならば、俺に罰をくれればよかったのに
なぜカーヤが、あの可愛いカーヤが

がたっと、牢の扉がなった
ゆっくりと、カデが振り返る
カデの顔を見て、カーヤがだんだん笑顔になっていき、涙ぐむ
カデの眼がみひらかれる

親子は、何ヶ月かぶりの再会を果たしたぎゅうっと、
ただぎゅうっと、カーヤとカデは抱き合っていた
足が少し冷たいけれど、もう、寒さは感じない
牢越しに、カデの手が
力強くカーヤを撫で、ぎゅうっとひきよせる

「すまなかった」

もう、何度目だろう、カデが謝る

「父さん、少し、やせた」

カーヤが、泣いたまま、笑った

「嫌な目にあったか?」

父さんが、カーヤに聞く。
その目も、涙に濡れている。
カーヤ、愛しいカーヤ

ぶんぶん、とカーヤが首を振った
「父さん」
聞きたかったことがある
「あの日」が来てから
ずっと、ずっと、聞きたかったことがある

「父さん、パパと、何があったの、
なんで、父さんは、牢にいれられたの?」



一番最初に、ルシュと愛し合ったのはいつの頃だったのか
カーヤと、まだ知り合っていない頃だったと想う
ルシュとカデは親友だった
ルシュの悲しみ、負っているものの重さ、
全て分かっていた
あの日から、もう、崩壊を前にしていた
ただ気づきたくなくて、見ないようにしていたんだ

今でも思い出せる、ルシュのぬくもり
ルシュの涙、ルシュのこえ

崩壊の日、
見つかってしまった、
あの時ルシュは、
人々を前に、「俺」が犯したのだと、そう言った
泣きながら、自分が求めたのではない、
俺が、犯したのだと
ルシュは、怖かったに違いない
自分の地位、周りを取り囲む、金の亡者
彼らと戦い、疲れ、俺といることで、安堵してしまうことが
怖かったに違いない
馬鹿なルシュ。可哀想な、ルシュ

「ルシュと、お父さんは恋人だったんだ」
「恋人?」
「そう、でも本当は恋人なんか、なっちゃいけなかったんだ
ルシュは、この屋敷の王様、だからね」
いいこいいこと、カデがカーヤを撫でる
「だから、それがみんなに見つかった時、
お父さんは罰せられたんだ」
「…………そんな、
だって父さんは、パパを愛しているんでしょう?」
「……うん……」
一時、間が空く
「愛してるよ」
カデは、カーヤを見ずに、まるで、何か違うものに言うように
心から、つぶやいた
「あいしてる」

がたんと音がした
はっとなって二人が振り返ると、
真剣な顔をした、ルシュが立っていた
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