春の待ち人



おうせ

かつん、かつんと
牢獄の下、音の良くとおる場所で、「あいつ」が来ることを知る
硬く迷いのある足音は、あいつしかいない

カデ・タナは瞑っていた目をそおっと開いて、
飛び込んでくる灰色の天井をじっと見つめた

「あのこと」があったあの日から、
この寒いベッドの上で、幾度夜を過ごしただろう
いつも、胸には不快な感情が渦巻いている
心配と、不安と、悲しみ

「カデ」
あいつの声が落ちる
透き通った声だ、悲しみをよくしみ込ませる
「お前の息子が、どんな生活をしているか、聞かせてほしいか?」
来た早々、
精一杯意地悪いように、あいつは言う。
そのことを話せば、あいつ自身が傷つくというのに
「聞かせてほしいね」
しかしそれに対するカデの答えはいつも同じ
カーヤ、あの可愛いおばかさんが、どこで何をしているのか
例え「あいつ」が傷つくとしても、聞かずにいられなかった
平静な顔をして、カデは全身をあいつの声に傾ける

「お前の息子は、このたび売夫をやとって
自分の性処理の相手をさせているそうだ」

あいつの虚勢をはって作った笑顔が固まる
一瞬泣きそうな顔になる
自分の起こした、全て、
自分で葬った、事実、
それが、牙を剥いて襲って来た、そんな風に

「そうか」
そう、悪いニュースでもないように、カデは目元を緩ませた
「それで?」
「血は争えんな、カデ
あいつは淫売だ、お前と同じ血が流れてる」
嫌悪したように、吐き捨てた
あいつの顔を、無表情で眺めながら、カデはあの、一番最初の、冬の日を思い出す
寒い日だった、雪が降っていた
誰もいない、山の野原で、カデはルシュと供にいた

『やめ……やめろ、カデ』
そういうルシュの首筋は、ほの紅に染まり、
きらきらと細かい汗が光っている
『ルシュ……』
ルシュのものを口に含んでいたカデは顔を上げて、
涙の滲んだ、悲しい顔をした
思い出は色をのせて、鮮やかに繰り返す
『こ……こんなことをして……ただですむと』
『思ってないよ…ルシュ』
あの時カデの理性は確かに飛んでいた
ルシュの皮膚、ルシュの声、全てが愛しかった
ルシュの体を抱きしめるようして、接吻する
『ルシュ』

あしいて

かつん、と音がした
はっとなって見ると、ルシュは向きを変えて去ろうとしているところだった

「バイバイ、ルシュ」
「カデ……」
瞳がなによりも泣いている
どうしてこうなってしまったんだろう
どうして、こうなりつつあるんだろう
「カデ、お前、俺のことを……」
その先は、いつも消えていく
ルシュは怖がっている、カデはそれに気づいていた
愛しいルシュ、でも、自分の心を吐露することはできない
そうすれば、何かが終わってしまう、ルシュの虚勢、ルシュの、守っているもの
カデも、ルシュも、予感に、動けずにいた
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