春の待ち人







てがみ(カデより)

古くなった着物を薄く破いて、
石でかりかりと字を書く
深夜。月明かりだけが頼りだ。
牢番は先ほどからかく、かくっと、船をこいでいる
色のうつる石を見つけた時、カデは嬉しさに満ちた
これでカーヤに手紙を書くことができる
月明かりと、布と、石
それだけあれば、十分だ

「あいしてる
けんこうに きをつけて
K」

それだけ書くのが精一杯だけれど
カーヤは分かってくれるだろう

一回強く、短く、次は長く、その次は短く、口笛を吹くと
ぱたぱた、と音を立てて、夜鳥が飛んで来た

「よーしいい子だ」

鳥も心得たもので、なるべく音を立てないように近づくと
静かに停まり、カデの動きを待った
カデはその足に、素早く布を巻き付ける

「いいこだ、カーヤによろしくな」

全てを知っているかのように、鳥は一度カデを見て
そして翼をひろげ、夜の街灯りへ
ひるまずにまっすぐ、飛んでいった

「カーヤ」

一瞬、苦い想いが去来する
愛しいカーヤ、
俺の子供。
鉄柵をにぎりしめて、頭を垂れる

幸せでいてくれ
頼むから


かさかさかさ、っと音がした
昔、この部屋にはカーヤという名の子供が住んでいた
今はもう、誰もいない
乾いた空気と、冷たい隙間風の中、
ルシュは頭を抱えて絶望していた

誰が許しても、世間が許しはしない。
カデ。カーヤ。
地獄に突き落としたのは、俺だ。

ぱたぱた、っとまた音がする
はっと顔を上げると、黒い夜鳥が窓に降り立つところだった
右足の白い布が、闇の中ではためいている

「……」

無言で、ルシュがその鳥に近づく。
カデの鳥だ。この鳥は、ここからカーヤが去ったことを知らない。
馬鹿な鳥だ、馬鹿なカデ、何を信じて、鳥に想いを託すのか

右足に結びつけられていた布をそっと外し、
しっしっと追い払う。
不服なことをされたように、鳥は二回強く鳴いて、飛んでいった。

布を開くと、がりがりと苦心した文字で、カデの想いが踊る。

「あいしてる
けんこうに きをつけて
K」

「これじゃ、俺あてかと思うだろ」
泣きそうな声でルシュはささやいた
知らないのか、知っているのか
カデの手紙はいつも宛先が無い
微かに揺らぐ、もしかしたら、という悲しい想いを、
ルシュはふりはらう。

俺にあてたわけはない。
カデは俺を恨んでいるんだ。
あんなことをされて、恨まないわけはない。
カーヤに、送り届けなければ
お前の父親からの、愛しみの手紙だと。

しかし、自分は、そうすることができないのを
ルシュは知っている
布を手のひらにのせて、ただじっと見つづける。
カデの書いた愛の手紙、何枚も、何枚も、
ルシュの部屋に隠してある
カーヤに送ってしまえば、
送り届けてしまえば
それがカーヤのものだったとはっきりわかってしまいそうで
カデはルシュを恨んでいると、はっきり思い知りそうで
怖かった

意識が、ふと途切れた
深淵の心からの行動、
突き動かされた、行動
ルシュはそっと、唇を近づけて、その手紙に接吻した
草の匂いが、少しした
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