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つきあかり、あのひ、なみだ
スケッチブック~季志の闇虫~
もう、三日も経っただろうか、
太陽は普通に昇り、普通に下り、
悠の作るご飯を食べながら、ここで暮らしている
刻々と変わる闇の濃さが時間代わりだった
今もまた、夜食にと悠の作った軽食を齧りながら、春は聞いた
「その闇虫……は、どうして、そんなに広がったの……」
(話し相手になってくれ)
悠の懇願する様子を思い浮かべながら、
春はたどたどしく、言葉を口にした
驚いたことに、悠は春に頭を下げた
その眉が悲しげに歪んでいることに
春はもっと驚いた
(お前がおびえるのもわかる)
(あいつはもう長くない)
(お前としゃべりたがっていたんだ、頼む)
「……」
くすっと、彼が笑った
彼の名前も、まだ聞いていなかったことに、
今更ながら春は気づいた
「もうだいぶ慣れたみたいだね」
微笑むその目が、不思議と優しい
闇虫の禍々しさに、それは不釣り合いで、不格好だった
しゃべれと言われて、夢中で何か、しゃべった気がする1日、
少し慣れて、相手のぽつり、ぽつりとした話を聞いた1日、
闇虫が広がりだした時から、この屋敷に逃げ込んだこと、
悠がそのあとを追ってきたこと、
なぜ闇虫がついたかは、わからないこと
などなど。また、驚くことに、闇虫の彼は話し上手で聞き上手だった
比べて春はしゃべることに慣れていない
闇虫の彼が辛抱強く、春のわかりにくい話を聞いてくれることを、辛く思っていた
こんなに、春の話を聞いてくれる人は、今までいなかった
「最初は……ごめんなさい」
春が頭を下げる
それに、いいよ、と笑って、
彼は上半身を起こした
体の半分以上を覆っている闇虫が、きぃきぃとざわめきながら、
つられて蠢く
やはりその様子は恐怖を感じる
この三日間でなんとなく、思っていることがあった
彼が誰であるか。
それは確信に近い
かすかな響きで、春は一人の名前を口にした
「邱田……
邱田季志……?」
「うん……?」
彼が振り返る
「……」
じっと春を見て、顔をほころばせた
「ああ、そう言う意味?
そうだよ、俺は邱田季志。
君のクラスメイトだった人」
ああ、やっぱりそうだったのだ
春は一瞬、その残酷な事実に涙が浮かんだ
つばをぐっと飲み込んで、
下を向いた
邱田季志は、春の憧れだった人だ
春だけじゃない、多分全校生徒、季志に憧れない人はいないだろうと思わせる
そんな人間だった
頭がきれて、運動能力もあって、いつもなにがしの人たちに囲まれて
笑いさざめいていた
春の周りを闇が覆っているなら、彼の周りは光が覆っていた
それなのに
「がっかりした?」
季志は穏やかな顔で、慣れたように聞いた
春はぶるぶると首を振る
「ち、違う、ただ……」
自分にわき上がった感情が何なのか、言葉にすることができなくて
春は口ごもる
「ただ……」
「……」
くすっと季志は笑って、ベッドの上に設置してある小ダンスの戸をあけた
中に一冊の本。
それを見て、春はぎょっとなった
自分の作った山の絵のスケッチブックだった
「この絵、君のだろ」
季志が目を閉じて、少しのびをしてスケッチブックを手に取った
湿りかけたスケッチブックの背表紙に、あの時の泥の跡がまだくっきりと残っている
踏みにじられた春の絵
「どうして……」
「道に落ちていたから……
悪いかもしれないと思ったけれど、
君が大事にしていたのも知っていたし」
季志はそう言いながら、ページを一枚めくる
最初は冬の山、草花が散り乱れ、柔らかな雨が降っている
「これは君が描いたの……?」
無言で春は目をそらした
春の家の裏をから道をまっすぐ行くと、
少し小さな山がある
補強されたハイキングコースがあるので、
休日になると数組の親子連れでにぎわうような、そんな山だ
子供の頃から大好きな山で、
嫌なことや、辛いことがあるとよく一人で登って、
木などに寄りかかって景色を眺めた
ふと、その景色を絵に描いてみたらどうだろうと、
こっそり800円の色鉛筆と1000円のスケッチブックを買い、
描いてみたのが始まりでへたくそな画力はもどかしさを感じたが、
描く度に不思議な陶酔感と、山の細々した景色がいつもより記憶に焼き付いて
うれしくなって
何枚も何枚も描きためた、そんなアルバムだ
「もう、いらないから…」
「……」
季志が困ったように笑いかける
その笑顔になんだか惨めに感じて、春はぐっと手のひらを握りしめた
汗をかいていた
嫌な思い出に、翻弄されそうな気がした
「あんなに大事にしていたじゃないか」
季志までそれを知っているということは、
隠していたつもりでも、世間にしてみれば、
ばればれの宝物だったに違いない
それが踏みにじられたのは一年前のバレンタインデーだったと思う
きらびやかなチョコレートが、店頭に幾重も重なって並んでいたから。
山に登っていたら、遅くなってしまって、
帰り道を急いだ
家に着くと、門の前に嫌みをそのまま顔にしたような、
父が立っていた
春は父に嫌われていた、
それは十分わかっている
父は妙に猫なで声の、気持ちの悪い声で、
「あの山に行ってきたのか」
と言った
怖くて、怖くて、何も言えなくなっている春の腕をつかんで鞄をひったくり
中のものを乱暴に散らかし
「この絵はなんだ」
と、スケッチブックを顔に押し付けてきたのだ
「ええ、なんなんだ?」
何を言われたのかは全部覚えている
だけど苦しくて、思い出すたびに苦しくて、
父は何度も汚い言葉を口にして、
春の軟弱さと、精神のもろさをののしった
そのスケッチブックと色鉛筆を地面に投げつけて、足でぐりぐりと踏みにじった
春が泣きそうな顔をしたのを見て、それはうれしそうな目をして、
何度も何度も
「杜?」
「……!」
思い出に飲み込まれていた春は、声をかけられてはっと気がついた、
そうだ、ここはあの冬の日ではなく、季志と悠の屋敷なのだ
闇虫の蠢く壊れかけた家
「ごめん、辛かった?」
季志が尋ねる
春はぶんぶんと首を振った
「大丈夫……」
「……杜がいらないなら、
これ、俺が持っていていい?」
「あ…でも」
本当は、春のへたくそな絵、ふみにじられた絵など、
誰かに持っていてほしくない、だけど、
心のどこかで、彼なら、と思っている
少しの葛藤があった
「いい、けど……、あの、へただから、
あんまりみないで……」
見た人がほっとするような、笑みを見せて
季志はそれをもう一ページめくった
「俺この4ページ目の、鳥の絵がすごく好き」
かあっと春は赤くなった
ぱらぱらと季志が4ページめをめくる
「茶色の鳥、なに鳥、だっけ」
春が体を乗り出す
なんだかドキドキした、そんな風にいわれたことなど
今まで一度もなくて
「一番鳥だ」
「一番鳥?」
「ほんとの名前は知らないけれど、
山に朝行ってみると、必ずいるんだ
一番に見ることが多いから、そう、呼んでたんだけど」
「この鳥、好き?」
「え」
心臓がきゅっと跳ね上がった
季志がなんだか楽しそうにこっちを見ている
彼のそばに近づきすぎたことに気づいて、
そっと春は離れようとした
その腕を季志がつかむ
闇虫がきぃっと鳴いた
「ごめん……、でも逃げないで、
ここで話して欲しいんだ」
「……」
春はほほを染めてうつむく
自意識過剰だと思ったけれど、
人に話を求められたことなど、初めてで
なんだか心音が痛いほど高鳴っていた
おなかに巣を食う、闇虫が、奇妙なほどざわめいていた
「この鳥、好き?」
季志が話を戻す
「……うん、綺麗だから」
「綺麗なんだ?」
「うまく描けなかったけど、
ほんとうはもっと綺麗なんだ。
目が、きらきらしているんだ、
人に慣れてなくて、
孤高の鳥って感じで
人の足音を聞くと逃げちゃうんだ、
僕はなんだか許してもらっているみたいなんだけど、
でもやっぱり近づきすぎると逃げちゃう
春先になる、赤い木の実をついばんでるところなんか
すごく綺麗で、なんだかすっとするんだ」
「すっとするんだ」
「うん……」
「いいな、山、行きたいな」
心底うらやましそうにつぶやいて、
もう一枚、季志がページをめくる
「びょ、びょうきがなおったら」
ドキドキしながら春は言った
何を言う気なのか、自分で自分がわからなかったけれど
言わずにいられなかった
春の闇虫が、鼓動にあわせて、どくん、どくん、と蠢く
「一緒に山に行く……?
そしたら、案内するよ」
ふわっと音がするように、季志が微笑んだ
闇がだんだん濃くなる
夕焼けの雨のにおいがかすかに漂っていた
季志に絡み付く闇虫を足しても
綺麗な笑みだった
(
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スケッチブック~季志の闇虫~
もう、三日も経っただろうか、
太陽は普通に昇り、普通に下り、
悠の作るご飯を食べながら、ここで暮らしている
刻々と変わる闇の濃さが時間代わりだった
今もまた、夜食にと悠の作った軽食を齧りながら、春は聞いた
「その闇虫……は、どうして、そんなに広がったの……」
(話し相手になってくれ)
悠の懇願する様子を思い浮かべながら、
春はたどたどしく、言葉を口にした
驚いたことに、悠は春に頭を下げた
その眉が悲しげに歪んでいることに
春はもっと驚いた
(お前がおびえるのもわかる)
(あいつはもう長くない)
(お前としゃべりたがっていたんだ、頼む)
「……」
くすっと、彼が笑った
彼の名前も、まだ聞いていなかったことに、
今更ながら春は気づいた
「もうだいぶ慣れたみたいだね」
微笑むその目が、不思議と優しい
闇虫の禍々しさに、それは不釣り合いで、不格好だった
しゃべれと言われて、夢中で何か、しゃべった気がする1日、
少し慣れて、相手のぽつり、ぽつりとした話を聞いた1日、
闇虫が広がりだした時から、この屋敷に逃げ込んだこと、
悠がそのあとを追ってきたこと、
なぜ闇虫がついたかは、わからないこと
などなど。また、驚くことに、闇虫の彼は話し上手で聞き上手だった
比べて春はしゃべることに慣れていない
闇虫の彼が辛抱強く、春のわかりにくい話を聞いてくれることを、辛く思っていた
こんなに、春の話を聞いてくれる人は、今までいなかった
「最初は……ごめんなさい」
春が頭を下げる
それに、いいよ、と笑って、
彼は上半身を起こした
体の半分以上を覆っている闇虫が、きぃきぃとざわめきながら、
つられて蠢く
やはりその様子は恐怖を感じる
この三日間でなんとなく、思っていることがあった
彼が誰であるか。
それは確信に近い
かすかな響きで、春は一人の名前を口にした
「邱田……
邱田季志……?」
「うん……?」
彼が振り返る
「……」
じっと春を見て、顔をほころばせた
「ああ、そう言う意味?
そうだよ、俺は邱田季志。
君のクラスメイトだった人」
ああ、やっぱりそうだったのだ
春は一瞬、その残酷な事実に涙が浮かんだ
つばをぐっと飲み込んで、
下を向いた
邱田季志は、春の憧れだった人だ
春だけじゃない、多分全校生徒、季志に憧れない人はいないだろうと思わせる
そんな人間だった
頭がきれて、運動能力もあって、いつもなにがしの人たちに囲まれて
笑いさざめいていた
春の周りを闇が覆っているなら、彼の周りは光が覆っていた
それなのに
「がっかりした?」
季志は穏やかな顔で、慣れたように聞いた
春はぶるぶると首を振る
「ち、違う、ただ……」
自分にわき上がった感情が何なのか、言葉にすることができなくて
春は口ごもる
「ただ……」
「……」
くすっと季志は笑って、ベッドの上に設置してある小ダンスの戸をあけた
中に一冊の本。
それを見て、春はぎょっとなった
自分の作った山の絵のスケッチブックだった
「この絵、君のだろ」
季志が目を閉じて、少しのびをしてスケッチブックを手に取った
湿りかけたスケッチブックの背表紙に、あの時の泥の跡がまだくっきりと残っている
踏みにじられた春の絵
「どうして……」
「道に落ちていたから……
悪いかもしれないと思ったけれど、
君が大事にしていたのも知っていたし」
季志はそう言いながら、ページを一枚めくる
最初は冬の山、草花が散り乱れ、柔らかな雨が降っている
「これは君が描いたの……?」
無言で春は目をそらした
春の家の裏をから道をまっすぐ行くと、
少し小さな山がある
補強されたハイキングコースがあるので、
休日になると数組の親子連れでにぎわうような、そんな山だ
子供の頃から大好きな山で、
嫌なことや、辛いことがあるとよく一人で登って、
木などに寄りかかって景色を眺めた
ふと、その景色を絵に描いてみたらどうだろうと、
こっそり800円の色鉛筆と1000円のスケッチブックを買い、
描いてみたのが始まりでへたくそな画力はもどかしさを感じたが、
描く度に不思議な陶酔感と、山の細々した景色がいつもより記憶に焼き付いて
うれしくなって
何枚も何枚も描きためた、そんなアルバムだ
「もう、いらないから…」
「……」
季志が困ったように笑いかける
その笑顔になんだか惨めに感じて、春はぐっと手のひらを握りしめた
汗をかいていた
嫌な思い出に、翻弄されそうな気がした
「あんなに大事にしていたじゃないか」
季志までそれを知っているということは、
隠していたつもりでも、世間にしてみれば、
ばればれの宝物だったに違いない
それが踏みにじられたのは一年前のバレンタインデーだったと思う
きらびやかなチョコレートが、店頭に幾重も重なって並んでいたから。
山に登っていたら、遅くなってしまって、
帰り道を急いだ
家に着くと、門の前に嫌みをそのまま顔にしたような、
父が立っていた
春は父に嫌われていた、
それは十分わかっている
父は妙に猫なで声の、気持ちの悪い声で、
「あの山に行ってきたのか」
と言った
怖くて、怖くて、何も言えなくなっている春の腕をつかんで鞄をひったくり
中のものを乱暴に散らかし
「この絵はなんだ」
と、スケッチブックを顔に押し付けてきたのだ
「ええ、なんなんだ?」
何を言われたのかは全部覚えている
だけど苦しくて、思い出すたびに苦しくて、
父は何度も汚い言葉を口にして、
春の軟弱さと、精神のもろさをののしった
そのスケッチブックと色鉛筆を地面に投げつけて、足でぐりぐりと踏みにじった
春が泣きそうな顔をしたのを見て、それはうれしそうな目をして、
何度も何度も
「杜?」
「……!」
思い出に飲み込まれていた春は、声をかけられてはっと気がついた、
そうだ、ここはあの冬の日ではなく、季志と悠の屋敷なのだ
闇虫の蠢く壊れかけた家
「ごめん、辛かった?」
季志が尋ねる
春はぶんぶんと首を振った
「大丈夫……」
「……杜がいらないなら、
これ、俺が持っていていい?」
「あ…でも」
本当は、春のへたくそな絵、ふみにじられた絵など、
誰かに持っていてほしくない、だけど、
心のどこかで、彼なら、と思っている
少しの葛藤があった
「いい、けど……、あの、へただから、
あんまりみないで……」
見た人がほっとするような、笑みを見せて
季志はそれをもう一ページめくった
「俺この4ページ目の、鳥の絵がすごく好き」
かあっと春は赤くなった
ぱらぱらと季志が4ページめをめくる
「茶色の鳥、なに鳥、だっけ」
春が体を乗り出す
なんだかドキドキした、そんな風にいわれたことなど
今まで一度もなくて
「一番鳥だ」
「一番鳥?」
「ほんとの名前は知らないけれど、
山に朝行ってみると、必ずいるんだ
一番に見ることが多いから、そう、呼んでたんだけど」
「この鳥、好き?」
「え」
心臓がきゅっと跳ね上がった
季志がなんだか楽しそうにこっちを見ている
彼のそばに近づきすぎたことに気づいて、
そっと春は離れようとした
その腕を季志がつかむ
闇虫がきぃっと鳴いた
「ごめん……、でも逃げないで、
ここで話して欲しいんだ」
「……」
春はほほを染めてうつむく
自意識過剰だと思ったけれど、
人に話を求められたことなど、初めてで
なんだか心音が痛いほど高鳴っていた
おなかに巣を食う、闇虫が、奇妙なほどざわめいていた
「この鳥、好き?」
季志が話を戻す
「……うん、綺麗だから」
「綺麗なんだ?」
「うまく描けなかったけど、
ほんとうはもっと綺麗なんだ。
目が、きらきらしているんだ、
人に慣れてなくて、
孤高の鳥って感じで
人の足音を聞くと逃げちゃうんだ、
僕はなんだか許してもらっているみたいなんだけど、
でもやっぱり近づきすぎると逃げちゃう
春先になる、赤い木の実をついばんでるところなんか
すごく綺麗で、なんだかすっとするんだ」
「すっとするんだ」
「うん……」
「いいな、山、行きたいな」
心底うらやましそうにつぶやいて、
もう一枚、季志がページをめくる
「びょ、びょうきがなおったら」
ドキドキしながら春は言った
何を言う気なのか、自分で自分がわからなかったけれど
言わずにいられなかった
春の闇虫が、鼓動にあわせて、どくん、どくん、と蠢く
「一緒に山に行く……?
そしたら、案内するよ」
ふわっと音がするように、季志が微笑んだ
闇がだんだん濃くなる
夕焼けの雨のにおいがかすかに漂っていた
季志に絡み付く闇虫を足しても
綺麗な笑みだった