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つきあかり、あのひ、なみだ
スケッチブック~春の闇虫~
風呂は好きだ
こんな風にゆっくり入ったことはなかった
いつも、いつも、父に風呂が長い、と因縁をつけられてしまうので、
早め早めにあがるようにしてた、だけど、
できるならば1時間ぐらい、たっぷりつかってみたかった
癖が抜けなくて、15分ぐらいで早め早めにあがっていたら、
悠がむすっとした顔で
もっと長く入ったらどうだ、と言った
春は悠が怖い
なんだかいつも怒った顔をしているし、
季志と比べて意地悪な気がする
クラスの中で、悠は目立たない存在だったが、
それでもその活躍は地味に噂になっていた
将棋で(春にはよくわからなかったけれど)なんとかという先生を打ち負かしたとか
学年でよくトップをとるけれど、
全学校でもトップクラスの成績だとか、
なんだか春には想像もつかない人だ
困っていたら、季志が横から助け舟を出して
「杜、気を使うことないんだよ、
悠はさ、そう言ってるんだ、
ここは寒いし、風呂ぐらいゆっくりはいりなよって」
いたずらっ子のように目配せされて春はよけい戸惑ってしまった
だけれども、二人が入れというのだから、入ってもいいのじゃないかな、うん
ちゃぷちゃぷと顔をなでながら、春はつぶやいた
大変なことになりましたね
一人演技のようなことを、時折春はやる
誰かが答えてくれる気になって、一人で話しかけるのだ
人に見つかったら、ましてや父に見つかったら
笑われるだけではすまされないだろうと思っているが、
気分が良い時は、ついつい調子に乗ってしまう
こんなにお風呂に入ってよいのでしょうか
そうはいいますけどね、お二人のご好意を無視する訳にも
いやいや、お風呂好きというのは差し引いても、
入っていたいものです
きゅうきゅうと、おなかの闇虫がないた
湯のなかで、それはくぐもって見えて
少しだけ、悲しくなる
がらっといきなり扉があいた
跳ね上がるほど、春は驚いた
ばちゃんばちゃんとしぶきがあがった
きぃぃ、っと、闇虫が蠢いた
「あ、すまん……」
さっと手を挙げて、悠が言った
「入っているとは知らなかった、
電気、つけなくていいのか?」
「………………」
どうしていいかわからない、というより思考回路が切断されて、
春は目を白黒させて、汗をいっぱいかいた
虫が、きゅうきゅう騒いでる
悠が困ったようにぽりぽりとほほをかく
「暗い方が月明かりが出てていいよな、
俺も結構好きだ、杜は、月が好きなのか?」
後に冷静になって考えれば、悠も慌てていたのだろう
訳の分からないことをずいぶん言っていたと思う
だけど今は、春の思考回路は赤く点滅して、
途切れ途切れの妙な単語しか思い浮かばない
安心しろ、安心しろ、闇だから、闇だから、見えない
「月、綺麗だから、お湯の中で綺麗だから」
「うん、なんか時折怖いぐらい綺麗だよな、
都会に出ると、星が無い夜があって、月しか見えないんだと、
怖いと思わないか?俺は怖いと思う、
じゃ、すまなかった」
がちゃっとドアがしまった
たっぷり数分置いて、どっぱんと春は湯船に潜った
ぶくぶくぶくっと息を吐いて、またどっぱんと顔を出す
「ううううう」
耳が真っ赤に染まる、熱いだけじゃない
「あ……っ」
春はぶんぶんと首を振った
闇虫に気づかれたかもしれないと言う焦りと
独り言を聞かれたと言う恥ずかしさに
どうしようもなく、もだえた
風呂からあがったあと、体を拭くのも好きだった
柔らかいタオルで水滴を残らずとると、
さっぱりとした開放感があって、
ああ、あとは布団に潜るだけだ、と思うのだ
だけど今日はそんなことなど考えていられなかった
あれから何十分経っただろう
なんだか出るに出られなくて、
こんな長湯をしてしまった
ひやっとした空気の中で、悠が買ってくれたパジャマに手を通す
パジャマは少し大きくて、くすんだオレンジ色をしている
その風通しのよい、さらさらした感触に、
春はすごくいいな、と思っている
家ではいつも捨ててもいいシャツを着て寝ていた
てくてくと、自分の寝床に歩いていく。
寝床は風の通らない、
だけど換気のいい部屋で、季志の部屋の隣にある。
ちょうど良く暖かくて寝やすい部屋だ。
悠の部屋は季志のを挟んで、向こう、
風呂の隣にある
ふと、そこのドアが開けっ放しになっているのに気づいて、
春は躊躇した
あんなことがあった後で、どんな顔をして会えばいいのか
気まずくてしょうがない
見ないように、見ないように、と思いながら、
春はその前を通った
「あ、あがったか」
そんな気遣いなどまるで役に立たなかったらしい、
春に気づいた悠が、部屋から声をかけてきた
「あ、す、すません」
「んん、いやいや、月見は面白かったか?」
むすっとした顔(に春は見える顔)で悠が部屋から出てくる
その手で持っているものを見て、春はぎょっとなった
自分のスケッチブックだった
春の視線を追って、悠が気づく
「ああ……」
ぽりぽりと、またほほをかく
癖らしい
「いい、絵だな」
鮮やかに微笑まれて、非常に驚いた
その顔が、思った以上に柔らかくて、
もうどうしていいか分からず
春はもじもじと手のひらを握った
「ごめんなさい」
なんだか謝ってしまう
悠が首を振る
「なぜ?俺はほめているんだ」
「ごめんなさい……」
おなかがきゅううっと鳴った
嫌な虫、春の傷跡
「いや……、俺は、その、怖いか?」
そんな音などおかまいなしに、悠は尋ねる
気づいているのか、いないのか
「……」
ぷるぷると春は首を振った
「怖いのは、僕が悪くて、臆病だから、
だから神崎はちがくて」
「……面白い話をしてやろう、
赤鬼というのが昔あってな」
「赤鬼?」
突拍子も無い展開に、春がきょとんとする
「うむ、なんだかそいつはいいやつなのに、
外見が怖いから、うとまれていてな、
村人に石を投げられたりしたんだそうな」
「石……」
春は自分が投げられたように、顔をしかめた
無意識に、おなかの病傷をさする
「でな、なんだかいろいろあって、
最終的には友達と戦って、
戦いにやぶれて、泣いたんだそうだ」
なんだか違う気がする。
「おしまい」
「ええ」
春はもう悠がまったく分からない
突然なんでこんな話をするのか
「この教訓はだな」
「?」
「顔が恐いからって人を怖がってはいかん」
じっと春は悠を見た
ぷっはっと息をして真っ赤になる
「なんだ、笑っているのか」
「笑ってないです、笑いそうなんです」
「なら笑えばいいじゃないか」
「神崎は、顔、怖くないから、
だから、怖がってもいいんだ」
「いやいやいかん、そういう話じゃない」
「そういう話だっていった」
「どういえば分かってもらえるんだ」
とうとう春はくすくすと笑い出した
悠が何かを思うように、その顔を満足そうに眺めた
「普段からそーゆー顔をすればいい」
「え?」
また変な話をはじめた、と春は笑顔のまま、悠を見上げた
「かわいい」
「へ?」
何を言われたか分からず、ぽかんと悠を見上げる
「ん、あ、まぁ、な。じゃ、俺は風呂に入るから」
悠がぽりぽりとほほをかきながら、歩き出す
その後ろ姿を、春はぽかんとしたまま追った
耳が真っ赤になってるなぁ、とぼんやり思う
悠はスケッチブックをまだ持ったままだ
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風呂は好きだ
こんな風にゆっくり入ったことはなかった
いつも、いつも、父に風呂が長い、と因縁をつけられてしまうので、
早め早めにあがるようにしてた、だけど、
できるならば1時間ぐらい、たっぷりつかってみたかった
癖が抜けなくて、15分ぐらいで早め早めにあがっていたら、
悠がむすっとした顔で
もっと長く入ったらどうだ、と言った
春は悠が怖い
なんだかいつも怒った顔をしているし、
季志と比べて意地悪な気がする
クラスの中で、悠は目立たない存在だったが、
それでもその活躍は地味に噂になっていた
将棋で(春にはよくわからなかったけれど)なんとかという先生を打ち負かしたとか
学年でよくトップをとるけれど、
全学校でもトップクラスの成績だとか、
なんだか春には想像もつかない人だ
困っていたら、季志が横から助け舟を出して
「杜、気を使うことないんだよ、
悠はさ、そう言ってるんだ、
ここは寒いし、風呂ぐらいゆっくりはいりなよって」
いたずらっ子のように目配せされて春はよけい戸惑ってしまった
だけれども、二人が入れというのだから、入ってもいいのじゃないかな、うん
ちゃぷちゃぷと顔をなでながら、春はつぶやいた
大変なことになりましたね
一人演技のようなことを、時折春はやる
誰かが答えてくれる気になって、一人で話しかけるのだ
人に見つかったら、ましてや父に見つかったら
笑われるだけではすまされないだろうと思っているが、
気分が良い時は、ついつい調子に乗ってしまう
こんなにお風呂に入ってよいのでしょうか
そうはいいますけどね、お二人のご好意を無視する訳にも
いやいや、お風呂好きというのは差し引いても、
入っていたいものです
きゅうきゅうと、おなかの闇虫がないた
湯のなかで、それはくぐもって見えて
少しだけ、悲しくなる
がらっといきなり扉があいた
跳ね上がるほど、春は驚いた
ばちゃんばちゃんとしぶきがあがった
きぃぃ、っと、闇虫が蠢いた
「あ、すまん……」
さっと手を挙げて、悠が言った
「入っているとは知らなかった、
電気、つけなくていいのか?」
「………………」
どうしていいかわからない、というより思考回路が切断されて、
春は目を白黒させて、汗をいっぱいかいた
虫が、きゅうきゅう騒いでる
悠が困ったようにぽりぽりとほほをかく
「暗い方が月明かりが出てていいよな、
俺も結構好きだ、杜は、月が好きなのか?」
後に冷静になって考えれば、悠も慌てていたのだろう
訳の分からないことをずいぶん言っていたと思う
だけど今は、春の思考回路は赤く点滅して、
途切れ途切れの妙な単語しか思い浮かばない
安心しろ、安心しろ、闇だから、闇だから、見えない
「月、綺麗だから、お湯の中で綺麗だから」
「うん、なんか時折怖いぐらい綺麗だよな、
都会に出ると、星が無い夜があって、月しか見えないんだと、
怖いと思わないか?俺は怖いと思う、
じゃ、すまなかった」
がちゃっとドアがしまった
たっぷり数分置いて、どっぱんと春は湯船に潜った
ぶくぶくぶくっと息を吐いて、またどっぱんと顔を出す
「ううううう」
耳が真っ赤に染まる、熱いだけじゃない
「あ……っ」
春はぶんぶんと首を振った
闇虫に気づかれたかもしれないと言う焦りと
独り言を聞かれたと言う恥ずかしさに
どうしようもなく、もだえた
風呂からあがったあと、体を拭くのも好きだった
柔らかいタオルで水滴を残らずとると、
さっぱりとした開放感があって、
ああ、あとは布団に潜るだけだ、と思うのだ
だけど今日はそんなことなど考えていられなかった
あれから何十分経っただろう
なんだか出るに出られなくて、
こんな長湯をしてしまった
ひやっとした空気の中で、悠が買ってくれたパジャマに手を通す
パジャマは少し大きくて、くすんだオレンジ色をしている
その風通しのよい、さらさらした感触に、
春はすごくいいな、と思っている
家ではいつも捨ててもいいシャツを着て寝ていた
てくてくと、自分の寝床に歩いていく。
寝床は風の通らない、
だけど換気のいい部屋で、季志の部屋の隣にある。
ちょうど良く暖かくて寝やすい部屋だ。
悠の部屋は季志のを挟んで、向こう、
風呂の隣にある
ふと、そこのドアが開けっ放しになっているのに気づいて、
春は躊躇した
あんなことがあった後で、どんな顔をして会えばいいのか
気まずくてしょうがない
見ないように、見ないように、と思いながら、
春はその前を通った
「あ、あがったか」
そんな気遣いなどまるで役に立たなかったらしい、
春に気づいた悠が、部屋から声をかけてきた
「あ、す、すません」
「んん、いやいや、月見は面白かったか?」
むすっとした顔(に春は見える顔)で悠が部屋から出てくる
その手で持っているものを見て、春はぎょっとなった
自分のスケッチブックだった
春の視線を追って、悠が気づく
「ああ……」
ぽりぽりと、またほほをかく
癖らしい
「いい、絵だな」
鮮やかに微笑まれて、非常に驚いた
その顔が、思った以上に柔らかくて、
もうどうしていいか分からず
春はもじもじと手のひらを握った
「ごめんなさい」
なんだか謝ってしまう
悠が首を振る
「なぜ?俺はほめているんだ」
「ごめんなさい……」
おなかがきゅううっと鳴った
嫌な虫、春の傷跡
「いや……、俺は、その、怖いか?」
そんな音などおかまいなしに、悠は尋ねる
気づいているのか、いないのか
「……」
ぷるぷると春は首を振った
「怖いのは、僕が悪くて、臆病だから、
だから神崎はちがくて」
「……面白い話をしてやろう、
赤鬼というのが昔あってな」
「赤鬼?」
突拍子も無い展開に、春がきょとんとする
「うむ、なんだかそいつはいいやつなのに、
外見が怖いから、うとまれていてな、
村人に石を投げられたりしたんだそうな」
「石……」
春は自分が投げられたように、顔をしかめた
無意識に、おなかの病傷をさする
「でな、なんだかいろいろあって、
最終的には友達と戦って、
戦いにやぶれて、泣いたんだそうだ」
なんだか違う気がする。
「おしまい」
「ええ」
春はもう悠がまったく分からない
突然なんでこんな話をするのか
「この教訓はだな」
「?」
「顔が恐いからって人を怖がってはいかん」
じっと春は悠を見た
ぷっはっと息をして真っ赤になる
「なんだ、笑っているのか」
「笑ってないです、笑いそうなんです」
「なら笑えばいいじゃないか」
「神崎は、顔、怖くないから、
だから、怖がってもいいんだ」
「いやいやいかん、そういう話じゃない」
「そういう話だっていった」
「どういえば分かってもらえるんだ」
とうとう春はくすくすと笑い出した
悠が何かを思うように、その顔を満足そうに眺めた
「普段からそーゆー顔をすればいい」
「え?」
また変な話をはじめた、と春は笑顔のまま、悠を見上げた
「かわいい」
「へ?」
何を言われたか分からず、ぽかんと悠を見上げる
「ん、あ、まぁ、な。じゃ、俺は風呂に入るから」
悠がぽりぽりとほほをかきながら、歩き出す
その後ろ姿を、春はぽかんとしたまま追った
耳が真っ赤になってるなぁ、とぼんやり思う
悠はスケッチブックをまだ持ったままだ